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こちらは、主に素直でクールな女性の小説を置いております。おもいっきし過疎ってます
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翠玉

 水滴が、シャワーの蛇口からしたたり落ちている。
 三分の二ほど湯がはった浴槽に並川が浸かっている。もう一人の彼女は浴槽に腰を掛けて、けらけらと笑った。
 ねえねえ、めっちゃ寒い。そう? じゃぁ熱湯出す? ばかぁ! 火傷しちゃうじゃん。んー? 案外気持ち、いいかもよ? ねえ、まだ出ちゃ駄目なの? 駄目だね、ここに書いてあるよ。どれどれ……。
 浴槽に浸かる並川は、腰を掛ける彼女の手元にあるパッケージを覗き込んだ。並川のシャンプーハットが彼女の額をこついた。彼女の、綺麗すぎる艶消しの黒髪が、ゆらゆらと揺れた。
「ほら、ここ。百二十分以上放置して下さいって、書いてある」
 彼女はパッケージの説明に指を差した。
「おいおい、書いてないから……」
 彼女を横目に、並川は無言でパッケージをひったくった。説明には、約20分間放置して下さい、と書いてあった。
 浴槽での出来事をおもい返し、とうに二十分は経過しているように並川は感じた。
「ちょっと、もぅ一時間ぐらいは経ってんじゃないの? ちょっと……やばくない?」
「お姉さんお姉さん。天然の黒髪をブリーチしようってんだから、やりすぎに越したことはないでしょう」
「もぉ! 色素抜きすぎて、髪の毛ちぎれちゃうよ」
 目をまあるくした彼女は、驚いて並川をみつめた。
「そなの? 先に言ってよ」
 彼女は無表情で並川を眺めた。
「知ってるっておもうじゃんか! ばかっ、あほ、へんたい!」
 すーっと彼女の腕が伸びた。並川の首元に腕を回して、抱き寄せる。「可愛い」
 彼女の、線の細い身体に、並川は包まれた。「ね? キスするよ」
 彼女は食い入るように並川の瞳をみつめる。並川は呆れた面持ちを浮かべた。その中に情熱を宿らせて、目を閉じた。彼女の顔が引き寄せられるように近づいた。
「はいはい、どうぞ」
 並川は目を閉じたまま、唇を波打たせた。小刻みに呼吸をした。
 唇がふれあう。軽く重なっていた唇を、並川は強く押しつけた。
「情熱的」
 うっとりと瞳を滲ませて、彼女は囁いた。
「もう髪の毛、流して」
「うん……いいよ」
 彼女は栓を捻ってシャワーをだした。蒸気が一気に立ちあがる。シャワーを手のひらにあてて、彼女は温度をはかる。並川も浴槽に腰を掛けて、彼女の隣に並んだ。膝の上にこぶしを置いて、俯いたままじっとしている。
 適温になったところで、彼女はシャワーを浴びせた。溶け出したこげ茶の脱色剤が排水口に吸い込まれた。彼女はシャワーを壁に掛け、温水を壁にあてる。温水は壁をつたっていき、浴室は静かになった。
 彼女は椅子に指を差した。並川に座るように促す。並川が座ったところで、彼女はスポンジにボディーシャンプーを垂らして泡だてた。
「いい感じになったかなぁ?」
 並川は上目で彼女をみつめる。彼女は泡だったスポンジを背中にあてて、そっと沿わせた。並川の肩口に顎をのせ、彼女は頬をすり寄せた。
「これだけやればねー。あとはマニキュアだ」
「綺麗なエメラルドグリーンになるかなぁ?」
「なるでしょ」
 脱色剤にまみれた並川の身体を、彼女は丁寧に磨く。全身をやわらかく撫でた。シャワーでさっと流した。
 ヘアーマニキュアを並川の髪に染み込ませる。また、つんっと鼻につく刺激臭が漂った。
 彼女は並川の膝の上に、向かい合わせに座った。並川と目があって、悪戯っぽく笑った。並川の脇に腕を回した。そのまま身体を、並川の胸に預ける。
「あったかい」
 並川の腰に脚を絡める。彼女はぎゅっとちからを込めた。並川も彼女を抱きしめる。
 二人は沈黙。壁をつたうシャワーだけがぴちぴちと、ないていた。
「あたしも髪の毛かえると、ふたりして馬鹿みたいだよね」
「人工的に作られた、紛れのないエメラルドグリーンとブラックだから。よく言われる、整形した無機質の美しさってやつかな。いいじゃない、私たちにはぴったりだわ」
 いって、彼女は微笑んだ。
「おっ、その口調ひさしぶりだねー」
 並川も、微笑んだ。
「まあね」
 二人は口づけを交わした。

 並川の髪を流しきって、脱衣場へ二人は向かう。先に彼女は、並川の身体をバスタオルに包んで水分を拭き取った。そして並川は、彼女の身体をしっかりと拭きあげた。
 リビングにある鏡台の前に並川は座った。セミロングの並川の髪に、彼女は後ろからドライヤーをあてる。
 残暑の生暖かい微風が室内に流れ込んだ。カーテンが揺れ、バスタオル姿の二人の肌をくすぐった。夕方の西日が、室内をオレンジに染めた。影がまじり、オレンジの斜陽が浸透しているようだ。
 彼女は並川の後ろ髪に見入った。みるみるうちに、鮮やかな青みがかった緑に変色していく。
 彼女は恍惚に耽った。甘美な吐息がもれる。
「凄いエメラルドグリーン……」
「え? なになに? そんなに凄いの?」
 彼女は並川を正面に向ける。つむじから前髪みかけてドライヤーをあてた。くしゃくしゃと髪をかいて、水気を飛ばした。
 十分に乾いたのを確認して、彼女は並川を鏡台の正面に戻した。
 一瞬にして並川は半笑いになった。手を口元にあて、笑いをこらえる。
「いやーお嬢さん。これは駄目でしょう……。仕事いけないじゃん!」
「だねー」
 大笑いした。彼女は並川の首に腕を巻きつけて、顔を並べる。大笑いしている二人が鏡に映っている。
 ひーひー。あかん、こりゃあかんわお姉さん。お嬢さん、あんたこの前まで、シルバーみたいなグレーだったんだよぉ。くっくっく……知ってる知ってる。どうするよ? お嬢さん。姉さん、仕事辞めちゃいなさいな、私が食べさせてあげるから。お嬢さん仕事できるの?
「んー無理。性格的に出来る気がしない」
「だよね。わーったわよ! しがないOLから、夜の街へと転進しますか」
「だったら風俗嬢だね。お姉さんのそのキャラクターだったら、フェチのお客さんつくよねぇー。あー、眼鏡必須で」
「風俗嬢ねー、それもいいかも。いまさら会社員とか無理そうだし……」
 いって並川は彼女とともに絨毯へ倒れこんだ。絨毯に仰向けになる彼女のお腹に、並川の頭がのった。笑い転げる彼女の腹筋を肌で感じながら、並川も豪快に笑った。
 互いの笑い声が切れる頃。並川は、彼女とのであいを、おもい返していた。


 あまりにも時間の密度と濃度が高く、昨日のようにも幼い頃の霞かかった淡い思い出にも感じてしまう。そんな曖昧模糊の記憶の断片。非現実に取り込まれるような薄暗い路地裏で彼女に、であった。
 街灯がこぼれ、ところどころ明るくなり、モザイクの薄闇に彼女がいる。
 奇声をもって鼠が数匹、彼女の足元をすり抜けた。彼女は、重油に汚染されたような黒々とした焼肉屋の壁に、真紅のワンピースをへばりつけていた。さして気にもとどめていない。
 彼女は禍々しい、と並川はおもった。
 並川は声を掛けた。気持ちが昂ぶる。声色に媚びを含みそうだったのを、並川は抑えつけた。
「迷子?」
「違うわ」
「なにしてんの?」
「何も。焼肉たべたいなーなんて、そんな感じよ」
 ぐうー、と彼女のお腹の虫が鳴いた。まるで幼馴染のような振る舞いで彼女は、並川の頭に指を差し込んだ。細長い指は地肌を弄り、くしゃくしゃと撫でた。無気力に、じっと並川を眺めやる。後頭部を黒ずんだブロックに押し当て、遠くを見透かすように煙草を咥えた。火を点けた。ゆっくりと火種が根元に向かって侵食していく。街灯に晒された煙は電球色に交《ま》ざり、不変色にたゆたっていた。
 並川は、感覚的に彼女に引き寄せられた。
 彼女の頬を撫でる。彼女は原色だ、空気じゃない酸素だ。余計な物はなにひとつ含まれてはいない、含まれては駄目。彼女の吐き出した煙をその面をまといながら、並川は見据える。
 彼女に取り込まれたい、でもそれは彼女ではなくなる、しかし我慢できず媚びるようにして彼女を伺った。
「あたしお金ないよぉ」
「あるけど。日本円じゃないのよ、ドル」
 並川は首を振った。
「別に使えるんじゃないの、ビッグバンってやつ? そんなの、あったじゃん。むかし」
「ふぅーん」
 彼女は並川に一瞥くれて店に入った。
 カッティングシートで画かれた店名の硝子戸の向こうでは、彼女と店員がいい争っていた。レジ前のカウンター越しに、店員と問答する。凄い剣幕で彼女は店員に捲くしたて、財布を取り出した。店員の顔めがけて札を叩きつけた。ドル札が、花開くように舞い散った。
「痺れる」
 並川は覗き込んでいた硝子戸を曇らして、呟いた。彼女はピュアだストレート、ぼそぼそと唇を波打たせた。
 カウンター内に札が乱舞している最中、盆踊りを踊るようにあたふたと掴み取りをする店員に向かって、再度罵声を浴びせる。カウンターに蹴りを入れた。びくん、と店員は硬直する。
 彼女は店を出る、硝子戸をくぐるまで睨みをきかせていた。
「そんなこと、しちゃだめ」
 店員に嫉妬して、並川は言い寄った。彼女は微笑んだ。無機質で乾いた微笑み、彼女の印象とは対称的な可愛らしい笑窪がなければ、気付かないほどの微笑みだった。
「嘘つき。日本円しか使えないじゃないの」
「ごめん、なさい」
 並川は口を窄ませた。彼女は並川の手を取る。並川の耳朶に唇がふれる。彼女の掠れた吐息がくすぐったい。
「嘘ついた。実はさっき入って断られてたの」
 彼女は無表情だったが、頬に笑窪があった。その笑窪が目に入り、並川は溜め息を吐く。
 彼女に、力任せに引っ張られる。並川はつんのめりながら駆け出した。憮然とした表情の並川は、切なさで胸を締め付けられていた。

 ひとけが無くなった大通りを走りきって、並川の自宅に着いた。靴棚の置き時刻は、午前四時をさしていた。呼吸があがる、二人のテンションもあがっている。彼女と出会った場所から五キロほど離れた自宅まで走りきっていた。
 間取りは1LDK。
 彼女は勝手に上がり込む。並川はキッチンに向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。グラス二つを指に挟む、底が弾けた。カランと音がたった。
 リビングに踏み入ると、彼女はうつ伏せで寝ていた。うーん、とうねるような寝言をあげ、二、三度寝返りをうった。部屋は暑くはなかったが蒸していた。汗でぴったりと前髪が額にへばりついている彼女に気付いて、並川はエアコンをつけた。並川は彼女の横に座り込んだ。
 現実離れした彼女と夜でわからなかったけど彼女の髪はシルバーに近いグレーで腰まである。そう並川は、彼女のお腹を叩いた。並川は寝ている彼女を仰向けにして、整った顔立ちをまじまじと見入る。
 寝息は立っていたがほとんど聞こえない程度で、呼吸さえしていないのだろうか、と並川は彼女の前髪を掻き分けた。彼女には呼吸さえも不純物なのだ。彼女の目蓋に指を持ってゆく、人差し指と中指でそっと抓みあげた。
「なに?」
 ぎろり、と抓みあげていた目蓋の奥の眼球が、並川を凝視する。
「眼の色がみどり――」
「そう緑色」
「外人なの?」
「そう外国人。わたしからみたら、あなたも外人。わたしも外人。それよりも、緑って言わないでよ! エメラルドグリーンって言ってよね」
「名前は?」
「あなたは? 名前」
「並川愛子、なみかわあいこ」
「ふーん。ロメリアよ、藍ロメリア」
「ハーフなんだ」
「さあ? クォーターかも、もっと薄いかも。どうでもいいし、気にしてないし」
「ロメリア。笑ったら、笑窪、できるよね」
「そうなの? 知らない」
 ロメリアは並川の腕を払い除《の》けた。ゆっくりと片方の目も開いて、並川を眺めた。狭い額の中央で綺麗に切り揃えられた並川の前髪を、弄ぶ。
「ふふ。愛子の髪って真っ黒よ。可愛い」
 そういわれ、並川は羞恥心を覚えた。ロメリアを前にして日本人特有の、漆黒の髪の自分、逃げ出したくなる。笑窪も出ない自分に萎縮する。
 ロメリアに、それは、相応しいのだ。
「ごめんロメリア」
「なにが?」
「もったいないよね、あたしになんかに、こんな髪の毛」並川はくぐもった声をあげた。前髪を弄んでいるロメリアの手首を掴む。ロメリアは弄ぶのをやめ、並川の頭を撫でた。「そうなの。じゃあーさ、染めてあげようか?」
「いいの?」
「わたしと一緒、エメラルドグリーンにしてあげる」
 ロメリアは、あたしの気持ちをわかっているのかいないのか、エメラルドグリーンはあたしにぴったりだ。
 ロメリアに、エメラルドグリーンの瞳は似合わない。そのグレーの髪も似合わない。笑窪だって、そう。
 ロメリアが皮肉をいうとはおもえないけど、と並川は、しかしロメリアにそう――
 エメラルドグリーンにしてあげる、といわれて嬉しかった。泣きそうになった。

 午前七時にアラームが鳴りだし、並川は目を覚ました。蝉が鳴いている。
 並川は、いつもなら出社の準備をはじめるが、どうして躊躇った。着替えずに寝てしまい、皺のよってしまったスーツを脱ぎ散した。とりあえずユニットバスへ向かう。軽く汗を流す。
 バスタオル姿でリビングに戻ってきた並川は、わぁーと声をあげた。ロメリアの姿に言葉がもれる。くらくらとした。
「綺麗!」
「どお、愛子、似合う?」
 並川は何度も縦に首を振る。ロメリアは、ぴったりと吸い付くように着込まれた純白のワンピース姿だった。
 まじまじとロメリアを見入る。目が離せなかった。
「ロメリア! ミュールも、あるの。履いてみて」
「いいわよ」
 ロメリアは笑った。笑窪が際立った。
 嬉々としてミュールを取りに走った並川は、その笑窪に気がつかなかった。ばたばたと物音をたててリビングに帰ってきた。並川はしっかりと純白のミュールを握り締めていた。
 ――ねえ、履いて。少し大きいわ。大丈夫、足首できつく縛ってあげるから。まあ、どうとでも、なりそうね。ほら、どお? いい感じでしょ。そうね、悪くないかも。
「ねえ、愛子。こういうサンダルだったら、ペディキュア、つけんじゃないの?」
 指を下唇の窪みに押し当て、ロメリアは思案するように訊いた。
「そんな余計なもの、いらないよぉー。綺麗な脚してんだから」
「あーそうなの。わからないけど、愛子がいうんなら、それでいいわよ」
「うん! それでいい」
 得意げに並川は鼻を鳴らした。
「なに調子こいてんの? 馬鹿みたい」
 ロメリアは並川の狭い額を小突いた。並川はむっとした。しかし、颯爽と、不愉快を打ち消すほどロメリアに微笑みに見惚れた。
 すらりと、モデル立ちをしているロメリアは、気だるく生欠伸をした。
 二の腕が、胸元が、鎖骨が、背骨が……。
 バランスの悪い自分の身体に自信がなくクローゼットの中にしまっておいた真白《ましろ》のワンピースが、ロメリアの身体にしっかりと馴染んでいた。
 並川は、ロメリアのために準備をしていたと、女神がそこにいると、錯覚していた。
 ロメリアは、塩ビフローリングにミュールの浅く平らな台形の痕を刻み込んで、玄関へと歩き出す。玄関の、樹脂加工された扉を半分開放して、ロメリアは壁に身体を預けていた。夏の淡い陽光が斜めに射していた。
 逆光のなかで、ロメリアは腕を組み、肘を掌で支え、指先に煙草が挟まれている。薄らかぼそい線をたちあげ、セブンスターが燻っている。斜陽に反射して埃が輝き、煙と同化して渦を巻いていた。
「それ、あたしの煙草」
「朝食は、どうする?」
 ロメリアは、穢れを知らないワンピースから、くしゃくしゃに捻れた煙草をつまみあげた。無表情のままそれを、半円を描いてゆらゆらと揺らめかした。
「煙草、切れたの。別にいいでしょ?」
「いいけど、あたしの分も残しといてよね」
「わかったわよ――」
 いいかけてロメリアは、踵を対面の壁に押し付けた。廊下側に視線を送る。醒めた細目で、外に一瞥を投げかけた。マンションの住人が呆然と立っていた。そのスーツ姿の男性と正面になる並川は目線があっていた。ロメリアを挟んで沈黙が流れる。
「そこのお兄さん。愛子のエロティック、セミヌード。お金、掛かるよ。これ以上楽しむんだったら、コレね」
 咥え煙草のロメリアは人差し指を立てた。一万円と暗黙の了解を促した。
 並川は唇を半開きにして、曖昧に頭を下げた。下を向いて青ざめた。並川はどう対処していいのかわからずに、半笑いを浮かべた。
 並川の垂れ下がった瞳に、男性はにやけた。急かすように、照れ笑いをして逃げ出した。
 並川はフローリングにへたり込んだ。バスタオル一枚の姿だった。半べそになった。
「愛子はむっちりバディーだからね、男が群がるのはしょうがない。世の殿方の、どストライク」
「……ばかぁ、ロメリア」
 並川は一瞬にして頬を赤らめた。ロメリアに向かって小声で呟いた。聞いていない素振りをみせて、ロメリアは頬に笑窪をつくった。
「愛子、下で待ってるよ」
「えっ? ロメリア。えぇ?」
 ロメリアは火種を真赤《まあか》に染めて、煙を吐き出した。無造作に灰を落とし、煙草を廊下に投げ捨てる。しかし廊下には落ちず、そのまま手摺りを越えて落下した。扉が閉まる。ロメリアの姿が消えた。
 並川は携帯電話を肩と耳で固定して、急いで着替えはじめた。携帯から呼び出し音が鳴る。ウェストが引っ掛かり、ぎこちなくずり落とした。会社の上司に電話が繋がった。
「すみません先輩、今日、休みます」

 ☆

 待ってよー、並川の声がマンションの駐車場に響きとおった。メゾソプラノの澄んだ音。
 野外駐車場の花壇にロメリアは腰を下ろしていた。ロメリアは、鈍色に藍《あお》く褪せた早朝の空を眺めている。首を並川にやって、ロメリアは流しみた。
「どうよ! ロメリア」
 ロメリアに駆け寄った並川は自信に溢れ、腰に手を掛ける。喉を鳴らして、誇らしげに胸を張った。
「いいんじゃないの」
「でしょう? あたしだって似合うんだからねー」
 並川は、昨日ロメリアが着ていた真紅のワンピース姿だった。
 ロメリアの口元が綻びた。からかうように歪んだ唇の横に、笑窪が現れる。その拍子にロメリアは眉を顰めた。 小首を傾げる。
 つかつかと足音をたてて、並川に近づいた。並川は、にんまりと頬を崩したままだった。気付いた? と、並川はロメリアを待った。並川の真正面にロメリアが立った。
 並川の胸元にロメリアは指を一本差し込む。視線が絡みあった。二人とも笑った。その指を引いて、ワンピースの中を覗き込んだ。
「ふぅん……愛子、ちゃんとわかってる。ノーブラ」
 ロメリアの顔が、並川の張りだした胸の谷間に埋まるほど接近している。湿った眼差しで谷間を覗き込んでいた。
 並川の、たっぷりと脂肪がのった木目の細かい質感の乳房。その淡い白雪に包まれた桃肌に、ロメリアの息が撫でて、くすぐったかった。
「そんなの、当たり前じゃない」
 並川はロメリアのまねをしていった。照れて、勢いよく鼻息をだした。
 ちょっとサイズがギリギリだけど……。と並川は内心、舌をだした。
 ほんの数時間前。ロメリアを膝枕していたときに、ロメリアはブラをしていないことに並川は気が付いた。タイトなワンピースは、ロメリアのくねった曲線《ライン》をトレースする。身体の線を描くに重点を置いたつくりのワンピース。下着の線が出ない、ロメリアを型《かたち》どった一本の線は、エロティックであり衝撃だった。
「じゃ、ここは?」
 ロメリアは頭をあげる。鼻同士が掠めるほどの間近でいった。と同時にロメリアの指は、並川の太ももの内側を滑っていた。なかはやわく、表面《そと》は張りある太もも。その感触を味わうように恥部へ向かって、絡めた中指と人差し指がせりあがっていく。
「だめだってば!」
「なにがよ」
「だって、ショーツ、穿いてない」
「ホントに? 愛子正解。これって結構、重要なのよ。ショーツの線がでるから」
 ロメリアは陰毛を弄んだ。毛羽立った陰毛を捻ってつまむ。
「ほら、ね? ロメリア。穿いてないでしょ……だからぁ」
 並川は切ない吐息をもらした。前のめりになって、ロメリアに身体を預けることになった。切なく身体を震わせてしがみつく。
 ロメリアは指で恥部のすじを沿わしている。スナップを利かせてこすりあげる。
「駄目」
 と、ロメリアは、並川のまねをして破顔した。
 砕けきったロメリアの表情をみた並川は――色褪せるのを感じた。
 もっとクールなのに、と。
 もっとシャープなのに、と。
 眼球のエメラルドグリーンは黄と藍の混合色。グリーンは原色ではない。髪のグレーは墨が欠けた、剥れた中途半端な状態。真黒《まっくろ》とはほど遠い、墨と白を混ぜた状態でもある。もしくは墨を薄くした状態。
 ロメリアにはまじりのないピュアな存在であることを、並川は望んでいた。破顔したロメリアは、並川のなかで加速度的に色褪せる。
 ――舌打った。「ロメリアこそ、ブラは外してるのにショーツ穿いてるようなものじゃんか」
「なにかいった? 愛子」
 並川の苛立ちは小声で、ロメリアには聞こえない。
「愛子って、凄く、興奮する。可愛いし、無防備だし、無茶苦茶にしたくなる」
「ロメリア、なにいってるの」
「ねぇ愛子、犯しちゃっても、いいの?」
「駄目に決まってんじゃないの」
 少し汗ばんできた並川の首筋に、ロメリアは唇をつけた。吸う。赤紫に血が盛りあがった。
「いや、ロメリア、ゆるして」
 惹かれたロメリアに対して、舌打ちと苛立ちを持った自分に赦しを乞うた。
「ゆるすってなに、なんのこと? わたしはこの、むっちりバディーに我慢できないだけ。あ、だけど、あまりにもわたしの心を揺さぶるから、愛子も悪いわね。酷い」
 すじの奥から溢れはじめた蜜を太ももになすりつけ、ロメリアの手のひらは這っていった。みっちりと密着したワンピースをよじりながら胸へと這う。手のひらは胸に吸い込まれ、弾けて、指のなごりがある。ワンピースはスカート部から捲くりあがっていき、突き出した胸に引っ掛かり、とまった。
 雪のようなもちもちとした肌があらわになった。
「お願いだから、ロメリア、やめてよ」
 並川は愛おしく目尻を垂れ下げ、ロメリアを舐めるように見入った。不愉快ではない、ほのかに香る汗の匂いが、並川の鼻腔にひろがる。
 ロメリアは無言でこたえた。
 唇が重なる。
 唇が離れると、てらてらと輝いた唾液が二人の下唇を繋いでいる。弧を描いて垂れ下がり、線は雫になり千切れた。
「あったかいね、愛子の身体。赤ちゃんみたい」
「もぅ、恥かしいって。ここ、駐車場だよロメリア」
「知ってる。愛子ってエロいね、こんな場所で。腋まで服、捲り上げて」
「ロメリアがやったんじゃん!」
「そ。わたしがやったの、エロいから。愛子には負けるけど」
「わかったからー、とりあえず部屋に戻ろ。ね? お願い」
「いいわよ。じゃ、もいっかい、キスさせて」
「いいから、早くして」
「わぁ愛子って冷たい。なんか理不尽」
「どっちが!」
 並川は目を血走らせてロメリアを睨んだ。ロメリアは嬉しそうに笑う。
 急かすようにして並川は唇を突き出した。そして目を瞑る。
 午前九時を回っている。マンションの住人や歩行者は、二人への視線を逸らして行き交っていた。
 捲くれあがったワンピースは、しっかりとロメリアに固定されいる。並川の肌があらわになっている。
 陽光が、並川の黒髪を、じりじりと焦がしていく。つむじを中心に熱を持っていく。アスファルトは陽光に熱しられ、徐々に蒸しはじめていた。
「ロメリア」
 並川は、なにもしないロメリアに痺れをきらし、小声で呟く。
「愛子」
 いって、ロメリアは並川の手首を強く掴んだ。「ちょっとこっちきて」
「ロメリアぁ」
 並川はロメリアに引きずられ、駐輪場に入った。ロメリアは無言だった。並川は片手で捲くれあがったワンピースをずり下げた。
 先へ急ぐロメリアに引きずられる並川は、駐輪場に並んでいる自転車に脚をぶつけた。自転車が物音をたてて将棋倒しになっていく。
「ロメリアって!」
 マンション中に響き渡る自転車の騒音。掻き消されるように並川の叫びが雑じった。
 薄暗い階段前のホール。蛍光灯が常時点灯している。不規則にグロウが弾け、蛍光灯が点滅する。昼光色の黄ばんだ発光が室内を照らしていた。並川とロメリアの影が、間延びしてコンクリートに映っている。
 一階の階段の裏側に空洞があり、ロメリアはそこへ並川を引きずり込んだ。並川の背中を壁に押し付けた。
 その反動で埃が舞い散った。生臭い匂いがあたりを覆う。ひんやりと、洞窟のような冷気が肌を舐めた。
「わたし、女の子って初めてなの。愛子、経験ある?」
 ロメリアは並川のワンピースの肩紐を掴む。エメラルドグリーンの瞳は湿っている。唇は半開きになっている。いまにも泣き出しそうな子供のように、ロメリアは並川をみつめる。
「ある訳ないじゃん、初めてだよ。ロメリア、どうしたの?」
 目をまあるくして、並川はロメリアを窺った。ロメリアが急に大人しくなったので不思議になった。そして、とてもロメリアが可愛らしくおもえた。並川は、ロメリアの耳に掛かった髪を手櫛して、そっと頬を撫でた。
「ねぇロメリア、いいよ。あたしね、仕事にいきづまっててさ、結構ね、辛いのよ。彼氏いないもん。この身体じゃあ相手にしてくんない。そら、ね、人並みには彼氏はいたんだよ、ひでーぐらいデブじゃないからさぁ。それよりも仕事がヤなの。あたしって不器用だからすぐ失敗するんだ。毎日失敗しに会社いってるようなもんなの。怒られるってわかってていくのが、めちゃめちゃ辛い。ロメリアがいてくれたら……」
 並川は、そっと唇を重ねる。ロメリアはびくっ、と肩が震えた。放心したように全身のちからが抜け落ちた。
「行こっか、ロメリア。ホテル。朝御飯も、そこで食べよ」
「……そうよね。愛子、行こっか」
 並川は手首を掴んで、ロメリアを引っぱった。俯いて、ロメリアは並川を追いかけた。

 ☆

 吐息が和音を奏でている。ロメリアと並川の、息切れをした吐く息。絡みあっている。
「愛子って受け?」
「ロメリアも、なの?」
「やっぱり」
 長方形の、硬質に造られたベッドの上で二人は身体を寄せあっている。室内二十一度に設定されたエアーコンディショニングに身体をふるわせていた。
 並川はロメリアにしがみついていた。汗が引いて、急激に冷えた。
 ロメリアはベッドの枕元にある備え付けのコンドームを手に取って、遊んでいる。仰向けのまま並川のセブンスターに火を点け、深く煙を吸い込んだ。
 並川は、ロメリアの姿を眺めた。ロメリアの首に腕を巻きつけた。その、満足気に吐き出したロメリアの煙を見上げながら窺った。
「おわった後の煙草って美味しいの?」
「普通。そんな程度」
 へえ……と頷いて、並川は無言でロメリアとの余韻を嗜んだ。しかし、男性との後に比べて薄っすらとした余韻だった。
 ――並川はおもわず、いった。「ロメリア、満足、した?」
 ロメリアは含み笑った。まがった笑窪が浮きだされる。「アレが無いからでしょ? 愛子」
 玩《もてあ》んでいたコンドームをベッド脇のゴミ箱に放り投げ、並川の耳朶をつまんだ。並川は、自分の頬をロメリアの手のひらになすりつける。
「そなの、よ。なんかね、物足りないねって……」
「仮性ビアンの受け同士なんて、まーそんなもんよ。しょうがないよね。わかるわかる」
 ロメリアは愛子の前髪を中指と薬指で分けた。
「仮性ビアン? 凄い言葉だね。なにそれ?」
 並川はロメリアの下腹部に跨り、騎乗位になった。身体を寝かせ、ロメリアの胸に顔を埋めた。
 ロメリアはベッドの上に転がる灰皿に煙草を置く。揉み消す。
「仮性ビアン? 造語よ、造語。いまつくったの。バイセクシャルでもないし、レズビアンでもない、テへロといっちゃうとそれまでだけど……曖昧なのよね。だからかな。愛子って中山可穂、読んだことない? 真性ビアン小説家、いいの書くのよ。そんな単語出てきそうよ」
「作家?」
「うーん、小説家。あと、花村萬月とかも、つかってそうかな」
「知らない。一応、一般教養で、東野圭吾とか宮部みゆきとか京極夏彦とか、かな」
「京極夏彦ってのもどうかと思うけど。ただのノベル作家じゃない。一般教養ってどうなの? イメージないわ。映像化されてるから、そうなるのか。へぇー」
「よくわかんないけど、なんか辛い評価だね」
「京極夏彦、面白いらしいけど、ちゃんと読んだことないからねぇ。村上春樹っていってたほうがいいんじゃない? ノーベル賞とりかけてたし」
「うー、名前だけ知ってる」
「純文作家。さーっぱり理解できないけど」
「ロメリアと一緒じゃん」
 並川はロメリアの脇腹をつついた。
「どっちが! 愛子でしょーが」
 ロメリアは腰をくねらせて、並川の乳輪の縁をなぞった。軽く乳首を唇に含んだ。並川は熱っぽい吐息をもらす。ロメリアは上目で窺う。互いに視線が交差する。
「なに考えてるの? 愛子」
 並川の、汗がしっかりと乾いてパウダーをまぶしたような肌の腹《うえ》を、ロメリアは這い上がっていく。並川の間近にロメリアの瞳が輝いていた。睫毛が重なり合う。
「ホントに理解できないなって、ね」
「愛子が?」
「ロメリア、が」
「愛子。私、実は宇宙意思なの。暗黒星雲から流れてきた精神体。宇宙意思の癖に関西弁がつかえるアウトローなのよ」
「嘘ばっかり」
「そう、嘘。だから私、なんにでもなれるわよ」
 ロメリアは並川の胸の弾力を肌に感じながら、するすると身体を滑らせた。並川の股に顔を埋めた。股ずれ気味の太ももはロメリアの頬をしっとりと包みこむ。太ももの付け根に、いまだ汗ばんでいる湿った肌のぬくもりがあった。ロメリアは噛みしめて、いっそう並川が愛おしくなった。
「ねえロメリア。あたしね、理解してるつもりだけど、自信がないっていうか、むつかしいっていうか……。全然知らないのよね、お互いのこと」
 ロメリアはエメラルドグリーンの瞳を潤ませ、並川を見据えた。その媚でもない嘲るでもない瞳が、並川に突き刺さる。
「なに? 愛子、気になるの」
「知りたいんだ、ロメリアのこと。どんなことでもいいから」
 溢れだす愛液を味わう。並川は、掠れた甘い吐息をあげる。
「島国根性丸出し。過去の背景なんてどうでもいいじゃない? 意味は無いよね。わぁー小説みたい、背景って。特別、気になる訳でも知りたい訳でもない。目の前で恥かしそうにしてる愛子が、そこにいるから、それでいい」
 並川は、ほほえんだ。母性に溢れたほほえみ。
 ロメリアは可愛らしい宝石から、そっと唇を放した。背を丸くして、並川の胸元に頭を預けた。猫のようにちぢこまった。
 並川は細い髪質のロメリアの髪を撫でた。手櫛をして、優しく撫でた。
 ――ピュアなんだ。無垢な子供なんだ。ロメリアは。でも、なまじ知識があるから、いまのロメリアなんだ。
 仮性ビアン……。仮性、そのロメリアから発せられた科白が、よぎった。
 そう、仮性なのよ、あたしたち。互いに持ち合わせていないものが、互いに持ち合わせている。
 並川は矛盾を孕んだ結論に達した。前歯で下唇をきつく押し込んだ。
 丸まって、すぅ、と寝息をたてているロメリアを気にしつつ、並川は傍にあるテーブルに脚を伸ばした。つま先をテーブルの脚に引っ掛けて手繰り寄せた。
 手を伸ばしてバッグを手に取る。頭の中には棒状のものを想い描き、バッグの中にあるポーチのジップを引いた。
 最初に目にとまったのはルージュだった。並川は苦笑した。瞬時にロメリアを窺った。
 安心しきったロメリアの寝顔は、乳児そのものだった。並川はロメリアの頭を撫でた。
 ルージュって、安物くさい三流官能小説か半世紀前の文学っぽいよねぇ愛子。現代小説では滅多にお目にかからないわぁ。並川は、そうロメリアがほくそ笑んでいいそうだ、とおもい巡らせてくちづさんだ。
 中をまさぐって取り出したのは、ルージュよりもふたまわりは大きい円柱状のマスカラだった。深い藍。
「真性……しんせい、しんせい――」
 幾度もなく呟く、何かに執《と》り憑かれている。
 マスカラのキャップをスライドさせた。カッチリとはまっているのかを確認すると、ゆるゆるだった。摩擦抵抗がうすれていて、乱暴にハメ倒し伸び切ったコンドームのようだった。
 並川は、まず、はじめに、マスカラのキャップ側からあてがった。ひんやりとして冷たい。捲れた襞《ひだ》がアクリルコーティングされた表面に吸い付く。手に取った感触よりもざらざらが増したような気がした。
 躊躇した。表面のざらざらが引っ掻くのではないかと。それよりも、キャップが胎《なか》で外れるのではないかと。思案して、先ほどロメリアが投げたコンドームを探した。見渡した。あった。ゴミ箱の縁に投げやりにしお垂れていた。
 紺碧のマスカラにコンドーム被せた。白み掛かったコンドームからマスカラが透け、不可解な色彩を放っていた。先端を括りつけようとしていた指が止まる。正直にいって気色悪い物体に進化している、とおもった。
 それより、この物体を挿入するぐらいなら……。
 あたしは仮性から真性に生まれ変わる、ロメリアも新たに誕生しようとしているのだ。ゴムみたいな膜なんて必要ない! 不純物は極力排除しなければ!
 並川はコンドームを外した。それをティシューで包み、そっとゴミ箱の中に置いた。
 紺碧の棒をもう一度あてがった。少し乾きはじめた胎に押し進める。
 ぢんっ、と痛みが走って身悶えた。
 胎から飛び出した棒が、おちんちんのようにみえた。なにか違う、ロメリアと逆じゃないのかなー、と頬笑《ほほえ》んだ。儀式としてちゃんとやりたかったけれど、そうはいってられなかった。
 ロメリアと溶けあいたい。並川はロメリアを抱き寄せた。
 ロメリアは寝呆けて、薄目がちに並川を眺めた。
 並川の真摯な眼差しの中に迎合があった。ロメリアは流し見て、安堵したように目を閉じた。また静かな、聞き取れないほどの、微量の寝息がたった。並川の頬笑みは母性に溢れていた。
 くちゅくちゅ……。
 室内の冷風、冷蔵庫のモーター音、家電製品の稼動音。雑じりあってノイズが室内に充満している。ロメリアの寝息が掻き消される雑音のなか、密着して蜜がはじける音が一定のリズムにのって垂れ流れている。
 クィーンサイズのベッドは、申し訳ない程度の軋みをあげる。厳かに、スプリングが四方八方に弛んでいた。
 並川は息を殺す。苦悶の表情を浮かべている。下唇を噛みしめている。全ての動作を確認するように、腰をスウィングさせていた。
 ロメリアは無表情のまま並川を眺める。並川と視線が絡むと、眉を下げてそっと視線を逸《か》わした。
 んっ。んっ。あっ。あっ。くっ。くぅ。
 並川が泣いた。
 ロメリアが呻いた。
 咆えた。
 並川の胎がきゅんきゅんっと痙攣している。疼く。同化するように触れあっていた襞を離した。
 すると、キャップが外れた。惜しげに、拗ねたように襞の唇を尖らせて引き抜くと、マスカラの毛先がめりめりと飛び出した。唇は色付き、濃紺の口紅を薄く伸ばしたようだった。
 やっとロメリアにおちんちんが生えた。ロメリアに胎を掻き回されて、溶けあった。細部まで感触を味わって、隅々まで膨張して一つになった。並川は胎に残されたロメリアの一部を噛みしめた。なかなかそのキャップを摘出しようとはおもえなかった。ロメリアを充填したまま、暗闇のなかへ堕ちた。
 ロメリアは並川をみつめながらほほえんだ。笑窪が現われた途端、すーっと笑窪が消えていった。穏やかな目尻、安らいだ横皺が数本、浮かぶ。ロメリアも目を閉じて、堕ちた。
 寝息がメロディを奏でる。ロメリアの寝息が、ノイズを掻き消していた。


 テーブルに向かって、トーストを齧っているロメリアから笑窪が消えた。
 しかし、並川の腫れぼったい肉厚の唇の片隅に、それは浮かびあがっていた。
 なにか、が変だ。どこかが違う。そう並川は、奥歯に挟まった歯垢を引っ掻くように呟いた。
 ロメリアに伺う。返ってきた回答は、並川を唖然とさせた。
「アレが生えたとき、じゃないの?」
 人差し指でトーストの耳を口の中に押し込んで、ロメリアはくすりと嗤った。
 並川はロメリアの瞳から放たれた輝きを見逃さなかった。鈍い反射光。まるでカラーコンタクトが反射したチープなフェイクの瞳におもえた。ロメリアからの皮肉にも感じられる。
「愛子、私ね、ずーっと一緒に居たいわぁ。正直、離れられない、とおもうし」
 ロメリアは媚へつらった上目遣いを、並川へと向ける。
 ロメリアの身に着けている煤汚れた白いワンピースが目にとどまった。すでに純白の名残はなく、灰色の古着に成り下がっていた。並川は、そのワンピースをエメラルドグリーンに染めてやろうか、とロメリアをなじりたかった。
 科白が微かにもれていた。
「ねえ、なにかいった?」
 並川は頬を痙攣させて、笑った。その能面のように貼りついた笑みに迎合があった。喜怒哀楽の微妙な集合体が含まれていた。
 手に取った珈琲はぬるくなっていた。マグカップ自体は冷めきっていた。
「どうしたの?」
 ロメリアは小首をかしげた。
 並川はそれに答えずに、ただただ微笑んだ。並川の眉毛がへの字に垂れた。
 ひんやりとした表面のマグカップが、あたしのようだ。なかは、なまぬるい。でも……珈琲は美味しいのだ。分けあったロメリアを受け入れよう! そう思ったとき、並川のなかで、なにかが弾けた。
「ロメリア、初めてあったとき言ってたじゃん、髪の毛。いつ染めよっか?」
 ロメリアは満面の笑みを浮かべる。ぽろぽろ、と食べかすが砕け落ちる。ロメリアが剥れ落ちているようだった。「いつでもいいよ。私は黒ね? 愛子」
 並川は泣き笑いになった。
 
 
                了

  1. 2007/11/14(水) 23:35:33|
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